メモ帳あるふぁv2

Since 2004/2009-2022 気が向いたときに長文を書く用。暇人であるときが懐かしく感じます。

おしごとって

企業だったら、企業利益、もとい株主利益のためにすべてはあるはずだし、公益的な法人であれば、それは社会のためになるためにあるはずだし。そういう大きな理念みたいなものは、個人レベルになるとどうしても薄れてきてしまうよね。
なんでそんなことを思ったのかというと、どうしても怠惰なヒトを動かす理由が思いつかなかったから。長期的にみると絶対会社にとってプラスでやるべきことでも、短期的には明らかに面倒・・・なことについて相手にやってもらおうとするのは、とってもハードルが高いなぁって感じた。プラスに「なりそう」だからいけないのかな。絶対に良いってことが証明できれば怠惰なヒトも動かすことができるのかなあ。でも絶対を証明するのって厳しいよね。無理だよね。
自分のお仕事はわりと「おせっかい」な役割だから、どうすればあっちも幸せ、こっちも幸せになることが出来るかを考えないといけない気がする。向こうにラクしてもらうことが、こっちのラクになる、ラクに仕事ができるなら幸せだよね、と。極限まで仕事の質を求めるべきなのか、ラクすることで一定の品質を担保することを求めるべきなのか。割と前者の考えに偏りがちなので、だんだんと後者にシフトできたらな、と思うけれど自分はそこまで飄々とできないしなー・・・。
もちろんラクして質落としたらあとは凋落が待ってるだけだけどね!!!ぶっちゃけどうでもいいと思うヒトもいるかもしれないけど(怠惰だから)、そこまで落ちたらちょっとなあと思う。

今のラクでは決して無い状況を打破するために、相手にラクしてもらう。やっぱコレなのか。