メモ帳あるふぁv2

Since 2004/2009-2022 気が向いたときに長文を書く用。暇人であるときが懐かしく感じます。

語ること

一人になって思いに耽るも、やはり実感が沸かない。ただの劇だったのではないかと今でも思う。「まじこれ疲れるわー」とか何とか言って起き上がるんじゃないか、なんて。その一方、現実と非現実の狭間で僕の人生の登場人物を何かふっと取り攫われたような変な感覚に陥っている。
でも、明日からは現実に戻らないといけない。書き記すことで刻みたいと思う。完全に自己満足だと思う。今日ばかりは、ご容赦を。

間違いなく彼は、今までの28年の人生の中で、「僕」を形成するのに最も影響を与えた人物だ。彼と出会わなければ、今の自分は無いと、そう断言できる。いろいろあり腐りかけていた大学生活を明るいものにしてくれ、やりたいことなりたいものも無く閉塞的に描いていた未来を切り開いてくれ、自分のすべての流れをpositiveにしてくれたのは彼だ。法律の面白さを教えてくれたのも彼で、今の仕事は彼がいなかったら今の仕事を選ぶことは無かっただろう。忘れることなどできる訳が無い。
自分の根底を作った大学生活、常に共にいた。家も近く、何度お邪魔したかわからない。ちょっと声をかけて近所のファミレスにて原付で駆けつけて勉強して、音楽談義をしつつ数時間が経過する、みたいなことをずっと繰り返していた。ファミレスを教えたらいたく気に入ったらしく、僕よりもそのファミレスに通うようになって、完全に常連と化していた。行くとほぼいるのでじゃあ一緒にやるか、のようなノリで。ドリンクバーで半日、ポテトフライで半日、とかザラであった。いつの日かメニューを見なくても注文できるようになっていた。美味そうな飯屋を発見したらとりあえず行ってみようとしたり。いつか行ったじゃじゃ麺屋さんは本格的で美味しかったなぁ。
僕にマージャンを教えてくれたのも彼だ。野球もたくさん教えてくれた。興味に対してとことん追求する姿勢は、なかなか自分もそこまではできないと思いつつも、ただただ感嘆とするばかりだった。
活動していたサークルでも、一緒に組んだ回数が一番多かったと思う。趣味系統も同じで、いい音楽を発掘して、共感して、よしじゃあやろう!みたいなノリで準備に取り掛かったりして。いつぞやの屋外発表の曲は新譜買って即日2人で耳コピを始めたんだっけ。
病気になってからも、ポジティブさは変わらずだった。ライブに行ったり、ラーメン食べたり、あれ、ぜんぜん変わらないじゃん、と。病気のことを聞いたときは愕然としたけど、それから6ヶ月、10ヶ月と経過して、どんどん良くなっているように見えて、彼なら何とかしちゃうんじゃないか?なんて思ってた。この前も一緒にゲームで遊んで勝ちを持っていかれ、ライブに行こうぜなんて誘われたりして。結局チケットが取れなくてお流れになったんだけど。

・・・本当は、10年後、20年後に、いつものメンバーで学生の頃よく行ったスーパー銭湯に行って「あのころはこんなこと話したな」なんて言いながらのんびり湯船に浸かって懐かしみたかった。こちらに来ておいしいラーメン屋もたくさん発掘したので、招待して紹介したかった。みんなで集まって、おいしいごはんツアーとか、いろいろできたはずだった。本当に悔しい。なぜ、いまなんだろう。なぜ、彼なんだろう。

僕が彼に送ったさいごのメッセージは、いつもどおりの言葉だった。そんなことになることはないと信じたかったから。でも、本当にあれで良かったのだろうか。無礼を承知で、彼に今までの感謝を述べたほうが良かったのだろうか。そんなことを考えながら、自慢げに魚を抱える彼の遺影を眺めていた。

またいつかどこかで共に語れる日を信じて、自分は今の日々をしっかりと歩み続けて行こうと思う。

自己満足って分かっているけど、彼が絶対気に入るような、そんな曲を1曲、作って送ろうと思う。そして、僕が違う世界にいったときに、感想を聞かせてもらいたい。あれ、どうだった?って。