メモ帳あるふぁv2

Since 2004/2009-2022 気が向いたときに長文を書く用。暇人であるときが懐かしく感じます。

憧れと慣れ

「憧れ」とは、理想とする物事や人物に強く心が引かれるさま。「慣れ」とは、その状態に長く置かれたり、たびたびそれを経験したりして、違和感がなくなる/通常のこととして受け入れられるようになること。言葉の意味を考えると、確かにと思うことがかなりあるように思える。
ちょうど一年前、みそじになって、そしてまた一つ歳を重ねた。十の位が変わったこの一年で色々なことがあったけれども、少なくとも1年前は新しい環境の前の不安と希望みたいなものがあったようにも思える。さて、今はどうなのだろうか。1年間やりきって、少し小休憩を挟んでいるものの、なにか物足りない感。そして、後一年しか無いという焦りが出てきている。外に出ることに憧れて、いろんな会社からくる人はみな優秀だと憧れて、そんな優秀な人にくっついて何かを学べればなんて思ってはいたけれども、実際やってみるとどうだろう。個人戦ということもあるけれど、ほとんどは自分で計画して自分で回して。結果、特に問題もなくソフトランディングでおわったワケで。自分はそこまでできない人間ではないのかもしれない、という小さな自信。そしてふと周りを見渡すと、完璧だと思っていたオトナな人が実はそうではない、みたいなところがたくさん見えてきて。もちろん自分がまだまだということは自覚しているのだけれど、それでもなんか、色んなところの要領とか器用さみたいなものは個人差があるのだろうなあ、と強く感じた。そんな環境で1年間やってきて、なんとなくどう振る舞えば上手く進むかみたいなものも分かってきて「慣れ」が出てきている。緊張感はもう消え失せてしまった。
何でもそうだけれど、慣れることで突きつけられる現実のようなものがある。問題はその先で、その慣れた状態でさらに階段を踏み出すことができるのかどうか。慣れてくるとドキドキしていた新しい環境もそうは思えなくなって、問題点ばかり目につくようになる。最初は楽しいと思っていたことも、だんだんと面倒という気持ちが大きくなってくる。どうせあと1年きっかりと悪態を付いて適当にやるというもの一つの選択肢ではあるけれど、それではあまりにも勿体無い。というか、余程のキャリア転換を考えない限りは、その後戻ってからはこの仕事を何十年も続けることになる。だから、なんとか今やるべき、やっておいたほうが後々楽しくなることを見つけて、とりかからないといけないなぁ、という焦燥感が半端ないのである。
一番いいのは出来る人に目をつけてその斜め後ろで全力サポートすることなのだけど、来年の所属組織の人員的に許されないっぽくて泣きそう。ワタシのポジションは補佐なの!ってことを頼むから分かってほしい・・・。ワタシみたいなテンパると何しでかすか分からない人間をメインどころに配置するって組織的には相当やばいぜ。