メモ帳あるふぁv2

Since 2004/2009-2022 気が向いたときに長文を書く用。暇人であるときが懐かしく感じます。

人に教わること。

ググレカス」なんて言葉がある。ネットスラングだが、意訳すると、「そんなくだらないこと質問する前で自分でググって出直してこい」という意味だ。「ググる」自体は近年のスラングだとしても、自分でよく調べてから人に聞くということは当たり前だとは思う。
 ところが、その当たり前の『程度』が実はよくわからない。どのレベルまで自分が理解してから聞くべきなのだろうか?という疑問が湧いてくる。社会人になって、いや、それよりもっと前、大学の学部生の頃からその思いはあり続ける。その要求される「当たり前」のレベルはどのくらいなのだろうか。
 例えば、今の上司は素晴らしい人で、多分聞けば何でも教えてくれる、と思う。しかし、だからと言って解らないことを脊髄反射的に何でも尋ねてしまうのはどうかと思うのである。しかし、考え込んでも解が見つからないことはよくあるものである。そんな時間を費やしては、自分は一体いま何をしていたのだろうと自問してしまう。「これは時間の浪費ではないのか?結局誤差の範囲でしか前進していないのであれば、最初から全部聞けばよかったのではないか?」と。
 人に聞く、ということはその人の限られた時間を自分のものにしてしまうということだ。このように考えると、ますます聞く内容というのは厳選しないといけない気になってくる。果たして、こんなくだらない事で時間を削ってよいものか・・・?あともう少し考えてみるか・・・。こうしたことが数回繰り返されるうち、ドツボにハマリ、残念な状況になっていることが幾度とあった。この状況だけみると、非常にまずい。でも、それが限りなく「自然と」そうなってしまうのである。自分では合理的な行動を取っているつもりなのだが・・・

開き直りが大事なのだろうか。謙虚でありすぎるのは、もしかしたら罪なのだろうか。