メモ帳あるふぁv2

Since 2004/2009-2022 気が向いたときに長文を書く用。暇人であるときが懐かしく感じます。

考える事

様々なステージの移り変わりを実感して、色々考えることがある。

あることを選ぶことについて、その選択には今までもこれからも責任がついて回る。その選択をしたから、いまの自分があるということだ。しかし、今までと違うのはこれからはその選択をすると不可逆的に遷移してしまうことが多くなるということ。今までは時間がたくさんあった。未来への道は多岐に開かれており、軌道修正が可能だった。しかし今は違う。だからこそ選択は慎重にならざるを得ない。その選択をした自分が数年後どのような思いにいるのか、仮に選択をしなかった場合はどうなっているのか、思いを張り巡らせるのだが「もやもや」が止まらない。
やらない後悔よりもやる後悔、という言葉がある。今までは自分はその通りに生きてきた(つもり)であるが、果たしてこの節目の時期、そればっかりでは少々稚拙なのではないか、とも思うようになってきた。
あることをやるなら意味を見出したい、と思うのではあるが、現状の地位に甘んじるのであればそれが叶わない。それは自分の目からも客観的な意見からも事実であって、そうであれば、チャンスを伺って動くのが一番としか言い様がない。それも不可逆だから、虎視眈々と機会を見張って、ここぞというときにベストになるように働きかける、なんてことをしないといけないわけだ。ただ、人の姿ばっかり見て、自分と他人は違うということを忘れて動いてしまう危険性もある。目標とする姿はその人だからこその結果であって、自分がその能力があるわけではないから、達成できるとも限らない。となると、またまたもやもやしてしまうのである。

そういうことを色々考えなきゃならないのが大人ってのなら、何て大変な思考作業をしなければならないのだろうと。ぐるぐる考えるだけで軽く夜中になってしまう。寝ようとすると思考モードに入ってしまって、もうそろそろ精神的に疲弊しそうだ。僕はただ、平和に、敵を作らずまったりとやりたいだけなのに。大人になんてまだまだなれない。