メモ帳あるふぁv2

Since 2004/2009-2022 気が向いたときに長文を書く用。暇人であるときが懐かしく感じます。

the imperfect

どのような事柄であっても、判断基準を定めるのは難しい。普遍的な基準なんてありやしないのだから、ある種画一的なもので区切ってしまうのはそもそも間違っているのだろう。それでも決めないといけないときがある。そんなときには、いくら正当性があったとしても尖がった意見は平準化されるよね。
逆説的になるけれども、自分の中に留まる判断基準であれば、何かしらは定まっている。各々何かしらの基準があって、ある事柄についての判断があり、選択がある。そして、そうした様々な判断の積み重ねの結果が今ということになる。そこには、積極的な選択もあれば、消極的な選択もある。いわば諦め、迷いながら仕方なく。常にリスクとの天秤を考えて判断するのだから、両方あり得ることで、責めるべきことはない。


自分の判断基準は、「おもしろい」かどうか、ただそれだけ。PCの世界にハマり、何となくおもしろそう、で大学と学科を選んで、法文の世界も何となくおもしろそうでストレートなEngineeringの道から外れ、おもしろそうでやや難しめの試験を受けて受かり、その結果が今の状況。果たしてこの先はどうか。

やってみた結果、面白そうと思ったことは全然そんなことはなくて、面白いと感じる瞬間が殆どないような状況で、むしろ面白くない、と感じたから前まで居たところを飛び出して違う仕事をしている。あと1年で会社に戻らなければならないけれど、面白くないところに戻るのは気乗りしない。

で、面白いとは何なのか、少し掘り下げてみたい。ここでの仕事は面白い。何が面白いのか。どういったときに面白いと感じるのか。

閉塞感漂う職場に戻って、自分は何ができるのか。どんよりとした空気に風を送り込んでいた人はみな退職してしまった。尊敬できるモデルケースみたいな人がいない。自分がモデルケースになる気概なんてもはや当の昔に無くなってしまった。ただし、やる気を無くしてしまうと、全体の2割くらいはあるだろう面白い(かもしれない)仕事さえ振ってこなくなる。10割面白くないことだったら、結論は明白だ。

そういったことも踏まえて、1年後自分が何をしたいのか、よーく考える必要がある。

「つらいけど面白い」「簡単で面白い」「簡単だけど面白くない」「つらくて面白くない」の4象限を考えたときに、おそらく前者2つが無条件で狙うべき領域なのだろうと。4つ目は論外だけど、3つ目でも満足しないんだろうなあ。仕事に面白さを求めないと決めちゃえば3つ目なんて最高だ。まだ、判断基準であり続けた結果、その判断をしてしまうことはかなりの覚悟がいるんだよなあ・・・。