メモ帳あるふぁv2

Since 2004/2009-2022 気が向いたときに長文を書く用。暇人であるときが懐かしく感じます。

思い出にひたる

思い出に浸ってばかりでは生産性もクソも無いんですが、先日実家に帰省したときに見つけたノートをデジタル化の名のもとにGoogle Documentに転記する際に、色々と思い出したので、書いてみる。

見つけたノートの日付は2005年で、約15年前。慣れない生物学の自学ノートの後ろの方に、細かい時系列メモがあった。当時はまさに大学生、日記なるものを書いていたわけですよ。仲が良かった友達と名古屋に遊びに行ったときのことが(おそらくその後に日記として清書するために)メモ書きで残っていて、まあ結局そんなこともせずメモ書きだけが残っていたと。

トイレに行ったら夕日が出てたので皆を連れ出して甲板に。赤く輝く空。まじでキレイだった~!

ケータイで撮ったはずのが保存されてなくて、後で泣いた。

友達は故人であり、そうなると思い出の中に生き続けるということになる。友達と共有したイベントはそれなりにあったはずだが、それでもどうしても薄れていく記憶。そんな中で、メモを改めて見るとあーこんな感じだったなぁとより詳細に思い出される。思い返すことで色あせていく色が少しはっきりするような、そんな感覚。

フェリーで移動して現地は原付で移動とか、なかなかこの歳じゃやらない行動だなと思うけれども、学生の醍醐味はしっかり満喫できていたのかなと思う。

「後悔しないように、できることは今のうちにやっておけ、将来できなくなる前に」ということが、大学時代に沈んだあとの自分のテーマだった。自分に言い聞かせて、その後15年も同じようにやってきたところ、やっぱり「できなくなる」ということをこの歳で実感し始めている。昔に比べるとお金ははるかに自由になったけれども、社会的環境だったり身体的環境だったりで、無理はできないし、するべきではない状況に。

でも、最近思い始めたのは、できなくなることが単調に増えるのではなくて、将来できるようになることも一部増えてくるのかもしれないのかなと。より長期のスパンで「今できること」を考えるべきなんだろうと。制限がただただ拡大するのではなく、今が制約条件が極大ととらえる。今はやるべきことをやり、将来的に制限が縮小したときにやりたいことをやっていく、というような考え方が必要なのではないかと。ライフプランにおけるお金の運用と同じってことなのかもね。